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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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クオリアと意識について2(脳/変換/意識)




クオリアと意識について2(主に過去に書いたものをまとめる・手を入れる)


意識と意識内容/精神的機能の分業/脳の情報処理における変換/変換して意識の器へ/その変換と数学/「意識の器」へのアプローチ


質の科学においては、意識以外の機能もまったく変化しないケース(意識も変化しない。これはすべてに共通です)だけ特別に扱っており、その上で、それが事実である可能性を否定しています(現実はそうでないということ)。
そのほかの場合・ケースにおいては、まったく同じ結論が導きだされます。
(詳しくは別なところで記します)。

以上の解説をかんたんに説明すると、
脳は分業になっていて、意識の部分・部位、その他の機能の部分・部位たちに分けられ、後者たちはどうにでも変化していくし変化できるが、意識は変化せず変わらないために自分はいつでも自分である、
ということになります。

注)
先に述べた「意識」の定義から、同じ人の意識は一生変化しない、という結論がでてきます。それを「意識不変の原理」と名づけましょう。
あるいは、同じ人の中で、一生変化しないものは「意識」であり(「意識不変の原理」)、そこから「意識」を定義することもできます。つまり、変化していくものは「意識」を構成しない、ということです。
以上のように、「意識」については、「意識不変の原理」というものがあって、意識自体は決して変化しない、意識内容は千変万化していく、という立場に立っています。


脳の情報処理における変換


さて、
人間の外からの情報を感覚器官で脳に送り込み、さらに意識の器に送り込むにあたってのその流れの中にある変換の在り方にはどういったものが考えられるのでしょうか。
あるいはそれに加えて、
脳の活動(思考、感情、知性、その他)による心的内容を、意識の器に送り込むにあたっての変換の在り方にはどういったものが考えられるのでしょうか。
(それらふたつの項目の内容の実体は、複合している・絡まり合っている)

そこでは、ニューロンたちの局所的な活動が、非局所的で一体性・全体性をもつ心的内容・意識内容へと変換されています。

考えつくままに列記してみます。

フーリエ変換
ホログラフィー変換
走査
ツイスター変換的変換(これは、茂木健一郎さんのサイトで知ったもので、茂木さんのアイディアです)
などが参考になるかもしれません。

フーリエ変換は時間をたたみ込んでしまう。
ホログラフィー変換においては、全体に部分が含まれ、部分に全体が含まれてしまう。
走査は、時間のズレがあっても、それをゼロにしてしまう(ゼロにみえるようにする)。
ツイスター変換的変換は、局所的なものたちを非局所的な在り方に変換する。

ただし、そういった変換ができたとしても、変換された情報の送り込み先というものはあるはずであり(先に述べたことの延長線上にある仮定)、そこは、一体性・全体性を形作っている何か、つまり意識の器、でしょう。

その対応・変換、は、意識の器・意識内容の「実体・性質・特性・規格」が出発点になっていることはいうまでもありません。
意識の器・意識内容の規格を考慮せずに、脳の中でたんに変換としてよさそうな変換をやってみたら=脳がそうつくられていたら、それがちゃんと、意識の器の機能・意識内容の規格、に正確に対応していた、などということは考えられないからです。

ただ、脳に直接端子を設け、音や映像の装置からの信号を送り込み続けると、脳はそれに適応していく、という現象・事実を現す、ということはあるそうですが。それもなんらかに関係しているのかもしれません。


質の科学における「意識」「意識の器」と変換へのアプローチ


そこで、
「意識」のもつ特性である、一体性・全体性、が、脳の中において、脳の活動において、どう構成・現出されるか考えてみましょう。

脳のなかで最も波動性が高いのは電子です。

中間子は一時的にしか現れないだろうし、その波動性は電子よりはるかに小さいものです。
クォークがあるとしてもまずは現れないだろう(結合して納まっているという感じですか)。
超ひも理論の超ひもがあったとしてもそれも現れないだろう(これも結合して納まっているという感じですか)。

その電子にアプローチしてみましょう。

特殊な関係性をもったふたつの電子が、どんなに離れていても、瞬時に特殊な情報みたいなものを交換できる、という現象はあるけれども、
意識やクオリアに関わっているようにみえる数多くの電子たちが、一体性・全体性を形づくることはない・できない。
とくに波動性においてそうである。
(物質的にですらそうであるともいえる。離ればなれである)
そういう結論に至ります。

ということは、電子たちは「意識の器」を構成できないということになります。
(電子一個または数個のなんらかの状態に意識が生じる、とすると、おかしなことがいくつかでてきて、その可能性は否定されるだろう)

つまり、「意識の器」というものは、物質的には構成できない・つくれない、ということになっります。

となると、いったいどういうことになるのでしょうか。
人間には意識はないということになる、ということはないのは確かです。

ということは、「意識の器」というものは、先に述べたように、なんらかのエネルギーが一体性・全体性をもってひとまとまりになったものである、とするしかないということでしょう。

ついで、その変換ですが、
質の科学では、そこのところは、
「なんらかに変換して」
で済ませています。

それで十分なんです。質の科学においては。

なぜなら、質の科学では、意識の主体(意識の器)というものの存在は、さまざまな根拠からいって、自明のことである、としているからです。

つまり、脳はさまざまな情報を局所的・並列的に処理しているけれども、それらは結局なんらかに変換され、意識の主体(器)に送り込まれ、そこで意識・意識内容(クオリアを含む)が生じる、という結論を得ているのです。

なぜそういえるのかというとこうなります。

まず、脳の中で、局所的に情報処理を行っているニューロンたちの一団、そういった一団が数多くあり、それらの一団たちの多くが欠けても、意識は変わらず存在します。

ということは、それらは、意識を担っているのではなく、意識に送り込む情報の処理をやっているにすぎない、ということになります。

(そのことは、意識は決して変化せず、それ以外の脳の機能たちはどうにでも変化できるし変化していく、ということでもあります)。

ということは、「意識の器」はどこかに存在する、ということになるでしょう。


(それに関してもその他にもいくつもの根拠があり、それらを私のブログ(楽天ブログ。ハンドルネーム・春楽天)のあちこちに挙げてあります(私のノートやPCなどにも書き込んであります))。


さらに可能性として考えて、
脳がホログラフィー的な在り方をしていたとしても、結局は、「意識の器」は存在するという、同じ結論に至ります。


その変換と数学


現在、先に述べた変換が課題になっているようなので、それに非常に興味をもちました。

私の数学の力は、まったくもってたいしたことはなくて微々たるものですが、私はなんでも考えたがるので、ヒマが増えたら、それに挑戦するかもしれません。

数学というのは、既存の数学の中に必要なものがなければ、つくりだせば(発見すれば)よい、という興味深いものでもあります。

その数学が矛盾なく働き、現実に適用したばあい、現実に対応した結果を示せればそれでオーケーなわけです。
おもしろいですね。


そういった数学によって、有効な変換が探しだせ、結論にたどり着いたらたぶん、先に述べた「意識の器」の存在が導きだされていることになるでしょう。


「意識の器」へのアプローチ


さて、「意識の器(主体)」なるハードウェアについてさらに研究を進めてみましょう。

すでにそういったモデルのイメージをいくつか挙げましたが、もっと記してみます。

1。ごくごく薄い膜の袋の中に気体が詰まっているようななにか、というイメージ。

2。中心部あたりに、引きつけるエネルギー的ななにかがあって、周りを引きつけられるエネルギー的ななにかが取り巻いている、あるいはそれに定常波的ななにかも加わる、というイメージ。

3。ある程度以上近づけば反発しあい、ある程度以上離れれば引き合うというエネルギー的ななにかの集合体。

4。たとえば、変動電界(のようなもの。変動エネルギー場)と変動磁界(のようなもの。前者と対をなす変動エネルギー場。あるいは別な変動エネルギー場)が、その法則に従ってうねりあっていて、しかもボールのようにまとまっており、移動しないでいられるなにか、というイメージ。

以上をイメージ思考で拾いあげたのですが、それらを数学的に記述できるのでしょうか。

<1。>は、音波の力学で攻めたくなるモデルです。
その袋の形状が変化する、という条件を与えると、手がつけられなくなるのかもしれません。

<2。>は、原子構造をモデルにしていますが、原子構造が数式で完全に記述できているわけではありません。
それに、そのやり方では、目的を達成できそうにありません。
そのモデル自体を否定する根拠は見いだせていませんが。

<3。>について。化学などの概念の中に、そういった力の関係のある存在があると考えたことがあります(たとえばゴム)。
それは、拡散せずしかも移動もしないでいられるという「意識の器」の条件を満たしています。それは、それら4つすべてについていえます。

<4。>の一部は、電磁波をモデルにしていますが、それだけではなく、ボールのようにまとまっていて、しかも移動しないでいられる何か、という条件が加わっています。
これも非常にユニークでしょう。
コンデンサーとコイルを多数組み合わせると、その電子回路的なモデルがつくれるかもしれません。

そのほかにも;
池の水面に、砂粒をたくさん投げ入れると、砂粒たちによって波紋源がたくさん発生し、それら波たちが合成されて複雑な波紋のパターンをつくりだす、そういったイメージのモデル。
超ひも的な存在によって構成され、波動性が非常に高く波動性においてひとまとまりになったもの、というイメージのモデル。
波動性の非常に高いエネルギーたちがなんらかの結びつける力によってひとまとまりにされ一体性・全体性を形づくっているもの、というイメージのモデル。
そういったものが考えられます。


こうアプローチしてきて、気になってくるのは、フーリエ級数・展開・変換です。


意識の器の中での波動パターンを








(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)



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